公共建築物(市役所など)
過酷な被災体験を生かせ
町の施設に防災安全合わせ
ガラスを導入
- 立地
- 福岡県添田町
- 建築形態
- R2階建
- 工期
- 2018 年7月(3日間)
福岡県 そえだドーム
災害史上に残る豪雨災害に見舞われながらも人的被害ゼロだった福岡県添田町。近年、大型化し頻度も上がり続ける自然災害の再来を念頭に、指定避難所となる公共施設の窓を防災安全合わせガラスに入れ替えた。
行政と民間が「起こってからでは遅い」と力を合わせ、平時からの高い防災意識づくりと建築的対応で町民の命とくらしを守る。安心安全な故郷をめざす小さな町の取り組みを追った。
1
2年続いた大規模豪雨災害。
蓄積された防災経験
記録的な豪雨災害を経験しながら、人的被害ゼロだった自治体があります。
福岡と大分の県境に広がる山あいのまち福岡県添田町は2018年、避難所に指定されている公共施設に防災安全合わせガラスを導入、窓の防災改修を行いました。
『線状降水帯』は大きな災害を思い起こさせる言葉です。列をなす積乱雲が同じエリアを通り続けたり長い時間居座ったりして大雨を降らせ、大規模な水害や土砂災害を引き起こす現象で、添田町の被災もこれによるものでした。
近年の町史に残る豪雨被害は二度。
一度目は2017年、観測史上最大の豪雨が町を襲いました。町内を南北に貫く彦山(ひこさん)川の溢水が家々や橋を流し、護岸や道路は崩壊。大量の土砂や流木が農地に流入して、公共施設も住宅も全半壊・浸水の被害を受けました。
『平成29年7月九州北部豪雨』と名づけられたこの大規模災害で、近隣の朝倉市・東峰村・大分県日田市とともに添田町は激甚災害指定対象となっています。
二度目はぴったり1年後の2018年、奇しくも同じ7月5日でした。梅雨前線が停滞する中でまたも線状降水帯が発生し、添田町の48時間降水量は536mmと観測史上最大値を再度更新します。
この『平成30年7月豪雨』は、北九州や久留米など福岡県内全域を巻き込む広範囲の災害になりました。
避難勧告・指示が出される中、添田町では一度目は延べ205名、二度目は延べ372名の住民が町内各所に避難。死者・行方不明者・負傷者は幸いにして皆無でした。
が、土砂被害の規模は朝倉市等を上回る部分もあり、レールや鉄橋が損壊した鉄道は現在も一部運行休止が続いています。
行政のトップとしてこの災害を経験してきた寺西明男町長は「被災時にも町の機能はしっかり守られなければなりません」と力を込めて語ります。
2018年11月、市内で最も安全と考えられるエリアにあり、かつ災害時の安全対策・指揮命令機能において基地のひとつとなる公共施設『そえだドーム』の窓を、防災安全合わせガラスに入れ替える改修事業に踏み切りました。
ガラスは機能ガラス普及推進協議会からの寄贈です。
防災安全合わせガラスは、飛来物がぶつかったり大きな揺れに遭遇しても窓を割れにくくし、割れてしまった際にも破片の飛散が少ない加工を施した高機能ガラス。同協議会は台風の大型化や頻発する地震など近年増え続ける自然災害に対抗すべく、このガラスの周知普及につとめてきました。
その一環として、死者や負傷者こそなかったものの土砂災害で多くの避難民が発生した添田町に支援を申し出、今回の改修事業へとつながったのです。
2 避難・安全対策の中枢となる建物に防災安全合わせガラスを
そえだドームは正式名称『添田勤労者体育施設』、建築面積約2700㎡の2階建で、雨の日も体を動かせる屋内スポーツ施設です。
ゲートボール場・テニスコート・卓球やバレーボールができるスペースがあり、災害時は大人数の住民が一定期間避難生活を送れる指定避難所に変わります。
ドームが建つのは、脇を流れる彦山川の対岸に町役場や町立図書館、住民センター、小中学校が点在し名実ともにまちの中心部といってよいエリア。隣接する『オークホール』は客席600のステージや複数の研修・会議室等を擁する大規模な公民館で、こちらは指定緊急避難場所です。災害時にはそえだドームと連携して住民避難を支援。このあたりは町内屈指の防災地帯なのです。
防災安全合わせガラスの導入を決断した理由を「ものが飛んできてガラス窓が割れたら、危険であると同時に雨風が入って避難所じたいが使えなくなる、それは困ると思いました」と寺西町長。2017、18年の豪雨では、町のシンボル・英彦山から吹き降ろしてくる風が強く心配だったと振り返ります。
そえだドームは緊急時には役場機能の一時移転が想定される“災害時行政の中枢”。どんなときでも「安全で使える状態にしておかなければならないのです」
もう一点、町長が強調したのは“ガラスで明かりをとること”でした。
3 行政と民間が連携し効率的な防災改修を実現
今回の改修事業は、官民が力を合わせて実現した事例です。
寄贈元の機能ガラス普及推進協議会のほか、受け入れ側では添田町防災情報管財課を窓口に、寺西町長自ら指揮をとりました。
さらに現場で施工を担当するガラス工事の専門家として福岡県板硝子商工協同組合と、町営住宅の設備メンテナンスや維持管理業務を通して添田町をよく知るガラスプロショップが尽力しています。
工事計画の細かい打ち合わせは、定例会議を設けず必要に応じて随時連絡を取り情報交換する方法がとられました。添田町と福岡市のように関係者の拠点間に一定の距離がある場合、こういった柔軟なやり方は無駄を省き効率をあげる上で有効だったのでしょう。
寺西町長は公共施設の維持管理面、とくに避難所として利用されるような建物では「窓やガラスといった“危険な部分”への対策がとくに大事だと考えています」と話します。
「台風が来ればどの家でも窓にテープを十字に張るでしょう? ああいった意識が公共施設にも必要だと思うんですよ」
一方、予算については現実的な面を避けて通れません。
理想に対して100%の対応ができず「たとえば70%の施設整備しかできないとしたら、どれを選べばいいのか。だからこそガラスや建築のプロからの助言や情報交換が必要なのです」
4 既存サッシを生かして高機能ガラスに入れ替え。安全で明るい避難所に
254枚の防災安全合わせガラス入れ替え工事は、町への寄贈が決まった2018年6月から4ヶ月足らずの11月に実施されました。
工事対象となったのはドームの1階、ゲートボールコートが三面取れる44m×66mの大きな空間をぐるりと囲む窓群です。
工事は3日間。窓枠から既存のアルミサッシを外し、古いガラスをその場で抜き取って新しいガラスに入れ替え、元の位置に戻します。延べ20名の職人さんが参加してスピーディに行い、施設使用の規制も短期間に抑えました。
1階内部は東西方向の周辺部で約5mおきに柱が並びますが、中央は無柱です。2階部分を支えるために大きな梁が何本も走り、天井はかなり低めに感じられます。
対する周辺部は中央より梁の位置が高く、柱も壁も白く塗装され、大きな窓が並んでいて明るい。避難所が開設されれば、通風換気の良さも含めて多くの人が中央よりもここを居場所に選ぶでしょう。
もしもガラスが破損すれば、避難者は中央に移動せざるを得ません。寺西町長が最初に触れた“避難所の居住性を保つことの大切さ”が、改めて迫ってくるようでした。
5 発災してから後悔しない。そのために平時から安全を意識する
防災安全合わせガラス導入によるそえだドームの安心安全度向上について町民への周知は、とうかがうと寺西町長は「残念ながらあまり伝わっていません」と苦笑い。
2017年以降毎年のように豪雨に襲われてきた町では、住民の方々も当然心配はしているといい「情報発信は大事だと思っています」
今後は大学と連携した山の含水率調査・実験が予定され、小中学校校舎の建て替えも検討しているとのこと。自治体の防災施策に向け国からの支援も増えている今「勉強していかなければ」と眉宇を引き締めました。
防災の取り組みは、日常的に危機感や想像力を持ち具体的な活動につなげることがひとつのカギとなります。が、平和な時間が流れる日々の中でたやすくはないのも現実です。
今回の改修事業のキーパーソンのひとりであるガラスプロショップ・宗貞ガラス店の宗貞伸繁代表は「いざ台風が来てはじめて『知っていたのになぜ対策しておかなかったのだろう』となるのは、やはり困りますよね。自治体の公共施設に関しては“常に安心安全の意識を持つ”のが重要です」
さらに「国の補助金などについて自治体がチェックしきれていないこともあります。議会での予算編成等も踏まえ、日頃の情報交換を軸にタイミングよくプロからのアドバイス等を得ることもまた、大切ではないでしょうか」と続けました。
住民から預かった税金を財源とする自治体公共施設の整備は、公園や道路など目に見えてよくなったり課題解決がはかれるものもあれば、より長い目で見ていくべきものもあります。
防災安全合わせガラスは後者で、何もなければ力は発揮されず、その性能が姿を表すのはまさに災害が起こった瞬間。平時からの意識づけと情報発信は欠かせないでしょう。
そえだドームの改修では、工事完了後に機能ガラス普及推進協議会による出張授業が行われました。
市内の小学校児童に向けた防災安全ガラスの講義+ハンマーを使ったガラス破壊体験で「子どもたちも興味を持ったようです。あれは大きかった」と寺西町長。
地球温暖化防止をめざし、SDGsをはじめ世界中で取り組みが進む中、未来の主役である子どもたちに高い意識と知識とをもってもらうことこそ、質の高い地域防災実現の大きな力となるに違いありません。
「起こってから『すみません』ではすまない。少し痛い目を見ないとわからない防災は、もう終わらせないとね」笑いながら、けれど毅然とした目で話す宗貞さんの言葉が心に残りました。
- 取材日
- 2022年5月11日
- 取材・文
- 二階さちえ
- 撮影
- 金子怜史
- イラスト
- 中川展代